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スキルアップカレッジ

日本のAI推進法——「推進」を選んだ国の設計

レッスン2:日本のAI推進法——「推進」を選んだ国の設計

このレッスンで学ぶこと

  • AI推進法の正式名称と、成立・公布・施行の経緯を説明できる
  • 法律の構成と、AI戦略本部・AI基本計画の位置づけを理解する
  • 日本が「推進型」を選んだ背景を説明できる
  • この法律が自社に直接何を義務づけるのか、率直に整理できる

前回のレッスンでは、世界各国の規制に共通する5つのリスクの類型と、規制のアプローチ3パターン(推進型・リスクベース型・分野別型)、ハードローとソフトローの違いを学びました。このレッスンからは、いよいよ個別の国と地域の制度を見ていきます。最初に扱うのは、私たちが暮らす日本の「AI推進法」です。

AI推進法の正式名称と成立・公布・施行の経緯

日本のAIに関する基本法の正式名称は、「人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律」です。「AI推進法」は、この長い正式名称を略した通称です。日本で初めて、AIそのものを対象にした基本法として成立しました。

この法律は、2025年5月28日に国会で成立し、2025年6月4日に公布されました。その後、一部の規定を除いて2025年9月に全面施行されています。全体は本則28条と附則からなる、比較的コンパクトな法律です(出典:BUSINESS LAWYERS「日本版AI法の概要と企業への影響」、keiyaku-watch「【2025年施行】AI新法とは?」)。

📝 補足 「基本法」とは、ある政策分野の基本的な方針や国の責務を定める性格の法律です。個別の禁止行為を細かく列挙する規制法とは異なり、国としての方向性を示し、具体的な施策は別途の計画やガイドラインに委ねる構成が一般的です。AI推進法もこの基本法の性格を持っています。

なぜ罰則を置かなかったのか

AI推進法の大きな特徴は、罰則規定を置いていないことです。多くの規制法は「違反すればこのような処分を受ける」という条文を持ちますが、AI推進法にはこうした強制力を伴う条文がありません。

この設計は、レッスン1で学んだ「推進型」のアプローチをそのまま体現しています。AI推進法は、AIの研究開発と活用を「進める」ことを目的にした法律であり、個別の禁止行為を取り締まる規制法ではありません。国が事業者や研究者の活動を後押しする姿勢を明確にし、リスクへの対応は基本理念やガイドラインで補うという設計思想です。

このアプローチは、日本だけの特殊な発想ではありません。新しい技術分野において、まず基本法で国の方向性を示し、必要に応じて個別法を後から整備していく手法は、これまでも他分野で採られてきた進め方です。AI推進法は、その手法をAI分野に適用したものと理解できます。

⚠️ 注意 「罰則がない=何をしても問題にならない」という理解は誤りです。AI推進法に罰則がなくても、レッスン3で扱うAI事業者ガイドライン(ソフトロー)や、個人情報保護法・著作権法など既存の法律が、AIの利用に対して引き続き適用されます。AI推進法は「AI専用の罰則がない」だけであり、AIの利用が既存の法律から自由になるわけではありません。

法律の構成——4つの章で何を定めているか

AI推進法は、大きく4つの章で構成されています。それぞれの章が何を定めているかを、順番に見ていきます。

第一章「総則」 では、法律の目的、AIに関する基本理念、国・地方公共団体・事業者それぞれの責務が定められています。目的は、AI技術の研究開発と活用を推進し、それによって経済社会の発展に寄与することです。

第二章「基本的施策」 では、国が講じるべき施策の方向性が定められています。研究開発の推進、人材の育成、国際協力、そしてリスクへの対応といった項目が含まれます。個別の具体的な数値目標などは、この法律自体には書かれておらず、後述するAI基本計画に委ねられる構成です。

第三章「人工知能基本計画」 では、政府が「AI基本計画」を策定することが定められています。基本計画の位置づけと策定手続きについては、この章の後で詳しく扱います。

第四章「人工知能戦略本部」 では、内閣にAI戦略本部を設置することが定められています。AI戦略本部の役割についても、このあと詳しく見ていきます。

条文数は多くありませんが、この4章構成そのものが、AI推進法の性格をよく表しています。総則で理念を示し、基本的施策で方向性を示し、基本計画と戦略本部という「実行の仕組み」を法律で担保する——これが、罰則を持たない基本法が実効性を持つための設計です。

AI戦略本部の位置づけと役割

AI推進法に基づき、内閣にはAI戦略本部が設置されています。AI戦略本部は、AIに関する政府全体の司令塔としての役割を担う組織です。

AI戦略本部の主な役割は、AI基本計画の案を作成すること、AIに関する重要事項の審議・調整を行うこと、関係省庁の施策を横断的に調整することです。従来、AIに関する政策は複数の省庁がそれぞれの所管分野で個別に取り組んできましたが、AI戦略本部は、その動きを国全体として一本化する役割を担っています。

AI基本計画とは何か

AI推進法の第三章に基づき、政府はAI基本計画を策定します。AI基本計画は、AI政策に関する国の具体的な方針を示す計画で、法律に根拠を持つ「法定計画」として位置づけられています。

最初のAI基本計画は、2025年12月に閣議決定されました。その後、AI分野の状況変化が速いことを踏まえ、比較的短い期間で見直しが行われており、2026年7月にはAI戦略本部での審議を経て、改定された基本計画が閣議決定されています(出典:内閣府「AI戦略」、内閣府公表の人工知能基本計画資料)。

基本計画で示されている柱として、AIの開発力を戦略的に強化すること、AIの信頼性を高めるためのガバナンスを主導すること、AIと協働する社会に向けた継続的な変革を進めることが挙げられています。基本計画は、AI戦略本部での審議を経て改定される仕組みになっており、今後も社会の変化に応じて見直されていく性格の計画です。

📖 もっと詳しく AI基本計画の具体的な内容は、公表・改定のたびに更新されます。本コースでは基本計画の位置づけを理解することを目的とし、細かい施策の内容までは扱いません。最新の基本計画は、内閣府のAI戦略に関する公式ページで確認できます。

国が事業者に求めていること

AI推進法そのものは、事業者に対して具体的な行為を義務づける条文をほとんど持ちません。その代わりに、国・地方公共団体・事業者それぞれの「責務」という形で、努力すべき方向性が示されています。

事業者に対して示されている責務のおおまかな方向性は、AIの研究開発と活用に主体的に取り組むこと、AIに関する国の施策に協力すること、AIのリスクに配慮した適正な利用に努めることです。いずれも「しなければならない」という強い義務ではなく、「努める」という努力義務としての性格を持っています。

この努力義務としての性格が、レッスン3で扱うAI事業者ガイドラインと組み合わさることで、実質的な行動基準として機能します。AI推進法が大きな方向性を示し、AI事業者ガイドラインがより具体的な行動指針を示すという、役割分担の関係にあると理解しておくと、この先の学習が整理しやすくなります。

日本が推進型を選んだ背景

日本がリスクベース型やハードロー中心の規制ではなく、推進型のアプローチを選んだ背景には、複数の要因が指摘されています。

1つは、国際競争力への意識です。AI技術の開発競争が世界的に激化する中で、規制を先に厳格化すると、国内での研究開発や投資が委縮するという懸念があります。まず活用を後押しし、リスクへの対応は状況を見ながら機動的に調整するという発想です。

もう1つは、日本の規制文化の伝統です。日本では、新しい技術分野において、業界団体の自主規制やガイドラインを軸に据え、法律は大きな方向性を示すにとどめるという手法が、これまでも多くの分野で採られてきました。AI推進法とAI事業者ガイドラインの組み合わせは、この伝統的な手法の延長線上にあるといえます。

もう1つ、国際的な位置づけも押さえておく必要があります。レッスン4以降で扱うEU AI Actは、リスクベース型でハードロー中心の規制です。日本の推進型のアプローチは、このEUのアプローチとは対照的な設計思想を持っています。どちらが優れているという単純な優劣の話ではなく、国ごとに異なる政策判断の結果として理解することが大切です。

比較の軸 日本(AI推進法) EU(EU AI Act)
基本的な重心 活用の推進 リスクの管理
罰則 なし あり(高額な制裁金)
規制の粒度 基本理念中心 リスクの高さで義務が変わる
補完する仕組み ガイドライン(ソフトロー) 施行規則・ガイダンス

ほかの「基本法」と比べてわかること

「基本法」という形式は、AI推進法が初めて採用したものではありません。日本には、科学技術・イノベーション基本法やデジタル社会形成基本法など、特定の政策分野について国の方向性を示す基本法がいくつも存在します。これらの基本法に共通するのは、罰則を持たず、国の責務・基本理念・推進体制を定め、具体的な施策は別途の計画に委ねるという構成です。

AI推進法をこうした先例と並べて見ると、「AI分野だけが特別に緩い法律を作られた」わけではないことがわかります。新しい政策分野に本格的に取り組む際、まず基本法で土台を作り、その後の状況を見ながら個別法やガイドラインを積み重ねていくのは、日本の立法における一般的な手法です。AI推進法も、この手法の延長線上に位置づけられます。

📝 補足 基本法の中には、施行後に個別の分野法が追加で整備された例もあります。AI分野でも、今後の状況次第では、特定の用途(医療・金融など)を対象にした個別法が検討される可能性はありますが、本コースの執筆時点でそうした個別法の具体的な検討状況を断定できる情報はありません。継続的な動向確認が必要な領域です。

今、企業ができること

AI推進法そのものが強い義務を課さないとはいえ、企業として何もしなくてよいわけではありません。この段階で現実的に取り組める行動を整理しておきます。

1つ目は、AI戦略本部やAI基本計画の公表情報を定期的に確認する習慣を持つことです。基本計画は今後も改定が重ねられる性格の計画であり、そこに示される方向性は、将来の個別規制や政府調達要件の先触れになる可能性があります。

2つ目は、レッスン3で扱うAI事業者ガイドラインを、法律より具体的な行動基準として参照することです。AI推進法自体に具体的な行動指針を求めるのではなく、その先にあるガイドラインを実務の拠りどころにするという向き合い方が現実的です。

3つ目は、自社が「AIの開発者」「AIの提供者」「AIの利用者」のどの立場に近いかを、社内で整理しておくことです。この立場の区分は、レッスン3以降で繰り返し登場する重要な視点であり、早い段階で自社の立ち位置を意識しておくと、この先の学習がより実務に結びつきやすくなります。

この法律が自社に直接何かを義務づけるのか

ここまでの内容を踏まえ、率直な整理をしておきます。「AI推進法があるから、自社は何かを新たに義務づけられるのか」という疑問に対する答えは、「直接の強い義務はほとんどない」というのが実態です。

罰則がなく、事業者への規定の多くが努力義務にとどまることから、AI推進法単体が企業に具体的な行動を強制する場面は限られています。しかし、だからといってこの法律を無視してよいわけではありません。国全体の方向性を示す法律として、この先に整備されるガイドラインや業界別の指針、政府調達の要件などに、AI推進法の理念が反映されていきます。今は努力義務でも、将来的により具体的な規制が積み重なっていく土台として、AI推進法を理解しておくことが実務上の備えになります。

講師の現場メモ

政府の情報通信政策の現場にいた頃、国際会議の場でよく議論になったのが「規制とイノベーションのどちらを優先するか」というテーマでした。ある会議で、欧州の代表団が「消費者の権利を守るためには、明確なルールが必要だ」と主張したのに対し、別の国の代表団は「ルールを先に固めすぎると、技術の進歩について行けなくなる」と反論する場面がありました。どちらの主張にも一理があり、単純にどちらかが正しいと言い切れる話ではないというのが、当時の私の実感でした。

日本の政策形成の現場で強く意識されていたのは、「まず動いてみて、問題が起きたら機動的に手当てする」という発想でした。AIのように技術の変化が速い分野で、詳細な規制を最初から法律に書き込んでしまうと、施行される頃には技術の実態と合わなくなっているおそれがあります。基本法で大きな方向性を定め、具体的な内容はガイドラインや基本計画といった、法律より柔軟に見直せる仕組みに委ねる——これが、AI推進法の設計に込められた実務的な知恵だと感じています。

企業の担当者から「結局、AI推進法は何をすればいいのか教えてくれないから困る」という声を聞くことがあります。その気持ちはよくわかります。しかし、この法律の性格を正しく理解すれば、「AI推進法そのものに具体的な指示を求める」のではなく、「AI推進法が示す方向性の先にある、より具体的なガイドラインや基本計画を追いかける」という向き合い方が見えてきます。次のレッスンで扱うAI事業者ガイドラインは、まさにその「より具体的な部分」を担う仕組みです。

もう1つ、当時の経験から伝えたいことがあります。国際会議で各国の担当者と話していると、「日本のAI推進法はどのくらいの実効性があるのか」と尋ねられることがよくありました。私はいつも、「この法律単体の実効性を測ろうとすると見誤る。基本計画とガイドラインをセットで見て初めて、日本のAI政策の実像が見える」と答えていました。単体の法律の強さだけで各国を比較するのではなく、法律・計画・ガイドラインの組み合わせ全体で政策の実効性を評価する視点は、企業がグローバルに事業を展開する際にも役立つ発想です。

まとめ

このレッスンでは、以下のことを学びました。

  • AI推進法(人工知能関連技術の研究開発及び活用の推進に関する法律)は、2025年5月28日に成立し、6月4日に公布され、2025年9月に全面施行された
  • 全28条からなり、罰則規定を置かない「推進型」の基本法である
  • 法律は総則・基本的施策・人工知能基本計画・人工知能戦略本部の4章で構成される
  • AI戦略本部は政府全体の司令塔、AI基本計画はAI政策の具体的な方針を示す法定計画である
  • 日本が推進型を選んだ背景には、国際競争力への意識と、ガイドラインを軸に据える規制文化の伝統がある
  • AI推進法単体が企業に課す直接の強い義務は限られるが、今後の規制の土台として理解しておく必要がある

次のレッスンでは、AI推進法の理念を具体的な行動指針へと橋渡しする、日本のソフトロー——AI事業者ガイドラインを詳しく見ていきます。


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