取締役の法的責任②——経営判断の原則・株主代表訴訟・D&O保険
レッスン3:取締役の法的責任②——経営判断の原則・株主代表訴訟・D&O保険
このレッスンで学ぶこと
- 経営判断の原則(Business Judgment Rule)の考え方と、日本の判例における判断枠組みを理解する
- 「守られる判断」にするための5つの手続を身につける
- 株主代表訴訟(会社法847条)の流れと、責任限定契約(427条)の役割を把握する
- 会社補償契約(430条の2)とD&O保険(430条の3)の仕組みと、令和元年改正の経緯を理解する
前のレッスンでは、善管注意義務と忠実義務という、取締役が負う義務の中身を扱いました。本レッスンでは、その義務がどこまで守られ、どこから責任に転じるのかという境界線——経営判断の原則を中心に扱います。
経営判断の原則——結果ではなく過程を問う
役員に就任した方が最も不安に感じるのは、「判断を誤ったら、すべて自分の責任になるのか」という点です。この不安に対する会社法の答えが、経営判断の原則(Business Judgment Rule)です。
経営判断の原則とは、経営に関する判断は本質的にリスクを伴うものであり、結果として会社に損害が生じたという一事をもって、直ちに取締役の善管注意義務違反を認めるべきではない、という考え方です。経営は科学的に正解が決まる作業ではなく、不確実な将来を見通して選択する仕事です。結果だけで責任を判断すれば、取締役は萎縮し、正当なリスクを取る経営判断そのものができなくなってしまいます。
💡 ポイント 経営判断の原則は「何をしても許される」という免罪符ではありません。問われるのは「結果」ではなく「判断に至る過程」です。過程が合理的であれば、結果として損害が生じても義務違反には当たらないという、過程重視の考え方です。
日本の判例における判断枠組み
最高裁は2010年7月15日、子会社株式の取得価格が高すぎたとして取締役の責任が争われたアパマンショップホールディングス株主代表訴訟で、経営判断の原則に関する重要な判断枠組みを示しました。事業再編の計画は経営上の専門的判断に委ねられており、取得の必要性や財務上の負担なども総合的に考慮して決定できる、決定の過程と内容に著しく不合理な点がない限り、善管注意義務に違反するものではない、という判断です。
この判決をはじめとする一連の裁判例から、日本の実務では経営判断の合理性を、おおむね次の3つの観点で評価する枠組みが定着しています。
- 情報収集の合理性:判断の前提となる情報を、状況に応じて合理的な範囲で集めていたか
- 意思決定過程の合理性:集めた情報をもとに、社内での検討や取締役会での審議を経て、手続的に妥当な過程で決定したか
- 判断内容の著しい不合理性の不存在:最終的な判断の中身が、専門家として著しく不合理と評価されるものでないか
3つの観点はいずれも「完璧さ」ではなく「著しい不合理がないこと」を基準にしています。経営判断には常に不確実性が伴うという前提に立ち、事後的に結果だけを見て断罪しない設計です。
この判断枠組みが実務に示す含意は、経営判断の巧拙そのものを裁判所が事後的に評価するのではなく、判断に至るまでの過程を評価するという姿勢です。取締役にとっては、「結果を当てにいく」よりも「過程を整える」ほうが、はるかに確実なリスク管理になります。逆に言えば、情報収集も検討過程も尽くさないまま下した判断は、結果的に会社に利益をもたらしたとしても、望ましい意思決定のあり方だったとは言えません。
「守られる判断」にするための5つの手続
経営判断の原則が機能するかどうかは、判断そのものの巧拙よりも、判断に至るまでの手続をどれだけ整えていたかに左右されます。実務上、次の5つの手続を意識することが、「守られる判断」につながります。
- 情報収集:判断に必要な情報を、社内外から集める。時間的な制約がある場合は、その制約の中で合理的に収集できる範囲を尽くす
- 専門家意見:財務・法務・税務など、専門的な判断が必要な論点については、弁護士や公認会計士など外部専門家の意見を得る
- 議事録記載:取締役会でどのような論点が示され、どのような議論を経て結論に至ったかを、議事録に具体的に記載する
- 反対意見の記録:判断に異論を唱えた取締役がいた場合、その意見と根拠を議事録に残す。多角的な検討が行われた証拠になる
- 利益相反の排除:判断に関わる取締役に利益相反のおそれがある場合は、審議や議決から外れる、または独立した第三者の意見を挟むなどの手当てをする
⚠️ 注意 本レッスンで示す手続は、経営判断の原則が機能しやすくなる一般的な考え方であり、個別の事案でどこまでの手続が求められるかは事情によって異なります。重要な意思決定を控えている場合は、事前に弁護士など専門家に相談し、自社の状況に即した助言を受けてください。
これらの手続に共通するのは、「後から振り返ったときに、判断の過程を説明できる状態にしておく」という発想です。取締役会の議論の質を高めることが、そのまま個々の取締役の法的なリスク管理につながります。
5つの手続を具体的な議案に当てはめてみる
抽象的な5つの手続を、架空のA社が海外新工場への投資を審議する場面に当てはめてみます。A社の取締役会に、100億円規模の海外新工場建設案が上程されたとします。
情報収集の観点では、現地の政治・為替・労務リスクについて、社内の担当部門だけでなく、現地事情に詳しい外部調査会社の報告も取り寄せます。専門家意見の観点では、税務・現地法制について現地の弁護士・会計士の意見を確認します。議事録記載の観点では、想定される投資回収期間、下振れシナリオ、撤退基準を数値で議事録に残します。反対意見の記録の観点では、「回収期間の前提が楽観的ではないか」という一部取締役の懸念を、賛成多数で決議した後も議事録に明記します。利益相反の排除の観点では、現地パートナー企業に親族が役員として関与している取締役がいれば、その取締役は審議から外れます。
このように5つの手続を具体の議案に落とし込むと、「守られる判断」とは特別な作業ではなく、通常の丁寧な意思決定プロセスそのものであることがわかります。特別なのは、その過程を意識的に記録し、後から説明できる形にしておくという一点だけです。
株主代表訴訟——会社法847条
取締役が対会社責任を負うべき場面であっても、会社自身が取締役を訴えることは実務上まれです。経営陣同士の関係の中で、会社が自分たちの経営陣を訴える判断は取りにくいためです。この空白を埋める仕組みが、株主代表訴訟です。
会社法847条は、一定の要件を満たす株主が、会社に代わって取締役の責任を追及する訴訟を提起できると定めています。手続の流れは次のとおりです。
- 提訴請求:株主が会社に対して、取締役の責任を追及する訴えを提起するよう請求する
- 60日間の猶予:会社は請求を受けてから60日以内に、訴えを提起するかどうかを判断する
- 株主による提訴:60日以内に会社が訴えを提起しない場合、請求した株主自身が取締役を被告として訴訟を提起できる
株主代表訴訟で認められた損害賠償は、株主個人にではなく会社に帰属します。制度の目的は、株主が自分の利益を得ることではなく、会社の利益を回復させることにあります。取締役にとっては、会社の意向とは独立に、株主から直接責任を追及されうる制度として理解しておく必要があります。
📝 補足 株主代表訴訟は、株主にとって通常の民事訴訟よりも提起しやすい制度設計になっています。会社の利益を回復させる公益的な性格を持つため、訴訟提起にあたっての負担が軽減されているのが特徴です。この「提起しやすさ」は、取締役にとって「訴えられにくいだろう」という楽観を持つべきではない理由でもあります。
責任限定契約——会社法427条
取締役がすべての損害を無制限に個人で負うとなれば、優秀な人材が社外取締役への就任をためらう要因になります。この懸念に対応する仕組みが、責任限定契約です。
会社法427条は、業務執行を行わない取締役(社外取締役など)について、定款の定めに基づき、会社との間で責任限定契約を締結できると定めています。あらかじめ定めた限度額を超える部分について、対会社責任を負わないとする契約です。ただし、故意または重大な過失による場合は責任限定の対象外となります。
会社補償契約とD&O保険——令和元年改正で新設
役員としての責任をめぐる備えとして、近年重要性が高まっているのが会社補償契約とD&O保険です。いずれも、2019年12月11日に公布され2021年3月1日に施行された令和元年改正会社法で、条文として明文化されました。
会社補償契約——会社法430条の2
会社補償契約は、取締役が職務を執行するにあたって生じた費用や損失を、会社が補償することを取り決める契約です。対象になるのは、法令違反の疑いに関する調査対応や争訟対応にかかる費用、第三者に生じた損害を賠償したことによる損失などです。改正前から実務上行われてきた運用を、条文として明確なルールに落とし込んだものです。
D&O保険——会社法430条の3
D&O保険(役員等賠償責任保険)は、取締役が職務執行に関して負う損害賠償責任、またはこれに関する争訟の費用を、保険会社が填補する保険契約です。改正前から広く普及していた保険商品ですが、契約内容を決定する手続についてルールが不明確だという指摘がありました。430条の3は、株式会社がD&O保険を締結する際、取締役会(取締役会非設置会社では株主総会)の決議による承認を必要とすることを明文化しました。
📝 補足 会社補償契約とD&O保険は、いずれも取締役の萎縮を防ぎ、正当なリスクテイクを促す狙いを共有しています。ただし両者は役割が異なります。会社補償契約は会社が直接費用や損失を補償する仕組みで、D&O保険は保険会社が填補する仕組みです。実務では、両者を組み合わせて備える会社が増えています。
保険で填補されない範囲
D&O保険は万能ではありません。一般的に、次のような場合は填補の対象外とされます。
- 取締役の故意によって生じた損害
- 法令に違反することを認識しながら行った行為による損害
- 会社に対する不当な利得を目的とした行為による損害
役員報酬など会社の利益として取締役自身が得た利得の返還を求められる場面でも、保険では填補されないのが一般的です。D&O保険は「正当なリスクテイクの結果として生じた損害」を対象とする仕組みであり、「悪意による不正行為」まで免責する仕組みではないという理解が必要です。
自社のD&O保険の補償範囲や免責事由がどう設計されているかを、就任時に確認しておくことも役員としての備えの一部です。保険会社や保険料水準によって免責事由の細部は異なるため、「加入している」という事実だけで安心せず、契約書面のどこまでが自分を守ってくれるのかを具体的に把握しておく必要があります。
経営判断の原則が機能しなかったケースに共通する特徴
経営判断の原則が守ってくれるはずの判断が、結果として守られなかったと評価される事案には、いくつかの共通点があります。取締役として避けるべき典型的な特徴を整理します。
第1に、時間的な制約を理由に、本来集められる情報を集めなかったケースです。「急いでいたので仕方がなかった」という説明は、それだけでは通用しません。制約の中で合理的に尽くせる範囲を尽くしたかどうかが問われます。
第2に、専門的な論点であるにもかかわらず、社内の知見だけで判断したケースです。財務・法務・税務など専門性が必要な論点で外部専門家の意見を求めなかったことは、後から振り返ると「情報収集を尽くさなかった」という評価につながりやすくなります。
第3に、特定の取締役の意向にほかの取締役が実質的に追随し、独自の検討をしなかったケースです。取締役会が形式的な承認機関になっていた場合、経営判断の原則が前提とする「合理的な意思決定過程」があったとは評価されにくくなります。
これらの共通点はいずれも、経営判断の内容そのものではなく、判断に至る過程の質に関わっています。「守られる判断」にするための5つの手続を、平時から徹底しておくことが、最も確実な備えになります。
講師の現場メモ
私が事業投資先の子会社でCFOを務めていたときのことです。海外での大型設備投資案件を審議する取締役会で、投資回収に時間がかかるという慎重論と、先行者利益を取るべきだという積極論が真っ二つに割れました。最終的には積極論で決議されましたが、私は財務担当としてリスクシナリオを別紙にまとめ、想定される下振れ幅と、その場合の対応策を議事録に添付する形で残すことを提案しました。
数年後、その投資は当初の想定より収益化が遅れ、一部の株主から「なぜあのとき投資を決めたのか」という問い合わせが経営陣に寄せられました。けれども、審議の過程で慎重論がどのように検討され、リスクシナリオがどう共有された上で決定に至ったかが議事録に残っていたため、経営陣は説明に窮することがありませんでした。
このとき私が実感したのは、経営判断の原則は「結果を保証してくれる盾」ではなく、「過程を説明できる状態にしておくための道具」だということです。投資の結果がよければ議事録の細かさは気にされません。結果が思わしくないときにこそ、過程の記録が経営陣を守ります。今、社外取締役として複数の取締役会に加わっていますが、議案が上がるたびに「この判断の過程は、後から説明できる形で残っているか」を意識して質問するようにしています。
まとめ
このレッスンでは、以下のことを学びました。
- 経営判断の原則は、結果ではなく判断に至る過程の合理性を問う考え方である
- 日本の判例は、情報収集の合理性・意思決定過程の合理性・判断内容の著しい不合理性の不存在という3つの観点で経営判断の合理性を評価する枠組みを示している
- 「守られる判断」にするための5つの手続は、情報収集・専門家意見・議事録記載・反対意見の記録・利益相反の排除である
- 株主代表訴訟(847条)は、提訴請求から60日以内に会社が訴えを提起しない場合、株主自身が取締役を訴えられる制度である
- 責任限定契約(427条)、会社補償契約(430条の2)、D&O保険(430条の3)は、いずれも正当なリスクテイクを萎縮させないための備えである
- 会社補償契約とD&O保険は令和元年改正会社法(2019年12月11日公布、2021年3月1日施行)で条文として明文化された
次のレッスンでは、取締役会そのものの質——議長とCEOの分離統治、取締役会の実効性評価を扱います。
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