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スキルアップカレッジ

不確実性を量で扱う——期待値・分岐・段階投資

レッスン3:不確実性を量で扱う——期待値・分岐・段階投資

このレッスンで学ぶこと

  • 「勘」と呼ばれているものの正体と、数字で補う必要性
  • 期待値という物差しで、複数の選択肢を比較する方法
  • デシジョンツリーで分岐を書き出し、段階投資で賭け金を分散する考え方
  • 確率を数字にできないときの扱い方と、ダウンサイドの上限管理

前回のレッスンでは、決定を可逆と不可逆に分け、レーンごとに時間のかけ方を変える技術を学びました。今回のレッスンでは、不可逆な決定を含む重い判断に直面したとき、不確実性そのものをどう扱うかという技術に入ります。中心となるのは、期待値・デシジョンツリー・段階投資という3つの道具です。合議体を持つ会社であれば、複数の役員が異なる角度から確率の見積もりを持ち寄り、議論を通じて精度を上げられます。オーナー経営者にはその機会がないため、道具を使って自分ひとりで数字を組み立てる技術が、より重要になります。

「勘」と呼ばれているものの正体

オーナー経営者の判断の多くは「勘」や「経験」という言葉で語られます。長年その業界にいることで培われた感覚は、確かに価値があります。しかし、この「勘」を分解してみると、実際には2つの異なるものが混ざっています。

1つは、過去の似た経験から得られた、確率の感覚です。「この手の案件は10件やって7件はうまくいく」という経験則は、明確な統計調査ではないものの、実際の確率に近い数字を反映していることが少なくありません。この種の勘は、意識的に言葉にすれば、判断の材料として十分に活用できます。

もう1つは、その場の気分や、直近の成功・失敗に引きずられた感覚です。直前に大きな契約が取れていれば強気になり、直前に取引先を失っていれば弱気になる。この種の「勘」は、実際の確率とは無関係に、そのときの心理状態を反映しているだけのことがあります。

問題は、この2つが本人の中でも区別されずに「勘」という1つの言葉でまとめられてしまうことです。本レッスンで扱う期待値やデシジョンツリーといった道具は、勘を否定するためのものではありません。勘の中にある「経験に基づく確率の感覚」を言葉と数字に変換し、その場の気分による揺れを取り除くための道具です。

💡 ポイント 数字にする作業の目的は、「勘を捨てて数字だけで決める」ことではありません。自分の勘の中にある確率の感覚を取り出して見える形にし、気分による揺れと切り分けることが目的です。数字にしてみて、それでも勘と大きくずれる場合は、その理由を掘り下げる価値があります。

期待値という物差し

不確実な選択肢を比較する最も基本的な道具が、期待値です。期待値とは、起こりうる複数の結果それぞれに、その結果が起きる確率をかけて合計した数字を指します。

簡単な数字で確認しましょう。ある新規事業への投資案があり、成功すれば利益2,000万円、失敗すれば損失500万円になるとします。成功する確率を4割、失敗する確率を6割と見積もった場合、期待値は次のように計算します。

  • 成功の場合の期待値への寄与:2,000万円 × 0.4 = 800万円
  • 失敗の場合の期待値への寄与:マイナス500万円 × 0.6 = マイナス300万円
  • 合計の期待値:800万円 − 300万円 = 500万円

この投資案の期待値はプラス500万円です。期待値がプラスであれば、平均的には得をする選択だと判断できます。逆に、成功確率を2割と見積もった場合はどうなるでしょうか。

  • 成功の場合の期待値への寄与:2,000万円 × 0.2 = 400万円
  • 失敗の場合の期待値への寄与:マイナス500万円 × 0.8 = マイナス400万円
  • 合計の期待値:400万円 − 400万円 = 0円

確率の見積もりが変わるだけで、期待値はプラス500万円からゼロまで大きく変わります。この計算そのものよりも大切なのは、「自分は成功確率を何割だと見積もっているのか」を明確な数字にする作業です。頭の中で漠然と「いけそうな気がする」と考えているだけでは、この確率の数字は言語化されません。

📝 補足 確率の見積もりに絶対の正解はありません。3割か4割かで期待値は変わりますが、それでも「数字にしてみる」作業そのものに価値があります。数字にすることで、自分がどれくらいの自信でその判断をしているのかが、自分自身にも見えるようになるためです。

期待値は、1つの選択肢の良し悪しを判定するだけでなく、複数の選択肢を横並びで比較するときにも役立ちます。例えば、同じ500万円の予算を、既存事業の拡張に使うか、新規事業の試験投資に使うかで迷っている場面を考えます。

選択肢 成功時の利益 成功確率 失敗時の損失 失敗確率 期待値
既存事業の拡張 600万円 7割 100万円 3割 390万円
新規事業の試験投資 1,500万円 3割 400万円 7割 170万円

この表だけを見れば、期待値は既存事業の拡張の方が高く、数字の上ではこちらが有利です。しかし、期待値だけで判断を終えないことが重要です。新規事業への投資は、成功したときの利益が既存事業の2倍以上あり、将来の事業の柱を増やすという、数字に表れない価値も持っています。期待値は判断の出発点であり、それだけで自動的に結論が出るわけではありません。数字に表れにくい戦略的な価値も、あわせて検討する必要があります。

デシジョンツリーで分岐を書き出す

期待値の計算は、選択肢が1つだけの場合にはシンプルですが、実際の経営判断は複数の選択肢と複数の分岐が絡み合っています。この分岐を整理する道具が、デシジョンツリーです。デシジョンツリーとは、決定の分岐点と、その先に起こりうる結果を、木の枝のように書き出していく図のことです。

簡単な例で確認します。ある会社が新しい設備を導入するかどうかを検討しています。選択肢は「導入する」と「導入しない」の2つです。導入した場合、需要が伸びれば大きな利益が出ますが、需要が伸びなければ固定費だけが増えて損失が出ます。

  • 選択肢A「導入する」
    • 需要が伸びる(確率5割):利益1,000万円
    • 需要が伸びない(確率5割):損失300万円
    • 期待値:1,000万円 × 0.5 − 300万円 × 0.5 = 350万円
  • 選択肢B「導入しない」
    • 需要が伸びる(確率5割):利益ゼロ(機会損失はあるが追加コストもなし)
    • 需要が伸びない(確率5割):利益ゼロ
    • 期待値:0円

この単純な図だけでも、選択肢Aの期待値がプラス350万円である一方、選択肢Bの期待値はゼロであることが見えます。数字だけを見れば選択肢Aの方が有利です。しかし、デシジョンツリーの価値は、期待値の比較そのものよりも、「起こりうる結果を漏れなく書き出す」という作業にあります。頭の中だけで考えていると、最も起こりそうな1つの未来しか思い浮かばず、最悪の場合の損失額を見落としがちです。

flowchart LR
  Start[設備導入を検討]
  Start --> A[導入する]
  Start --> B[導入しない]
  A --> A1[需要が伸びる 確率5割<br/>利益1,000万円]
  A --> A2[需要が伸びない 確率5割<br/>損失300万円]
  B --> B1[需要が伸びる 確率5割<br/>利益ゼロ]
  B --> B2[需要が伸びない 確率5割<br/>利益ゼロ]

図1:設備投資の判断を表すデシジョンツリー。分岐と結果を書き出すことで、最悪の場合の損失額を見落とさずに済む

⚠️ 注意 デシジョンツリーで示す確率や金額は、あくまで見積もりであり、正確な予測ではありません。数字が完璧である必要はなく、「起こりうる分岐を書き出す」こと自体に価値があります。数字の精度を求めすぎて作業が止まってしまうより、大まかな数字でも書き出してみる方が実務的です。

ヒューリスティックとプロスペクト理論——数字を歪める心理的な癖

期待値やデシジョンツリーという道具を知っていても、実際の判断の場面では、心理的な癖がその数字を歪めることがあります。ここでは、経営判断に特に影響しやすい2つの癖を紹介します。

1つ目は、ヒューリスティックです。ヒューリスティックとは、複雑な問題に直面したとき、時間をかけて精密に計算するのではなく、経験則に基づいて素早く判断を下す思考のショートカットを指します。ヒューリスティックそのものは悪いものではなく、時間が限られた場面では有効に機能します。オーナー経営者が長年の経験から培った「勘」の多くも、このヒューリスティックの一種です。問題は、ヒューリスティックが有効な場面と、緻密な計算が必要な場面を、無自覚に混同してしまうことです。可逆で小さな決定にはヒューリスティックで十分ですが、不可逆で大きな決定にヒューリスティックだけで臨むと、期待値の計算を省略したまま結論に飛びついてしまいます。

2つ目は、損失を過大に恐れる傾向です。心理学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーは、1979年に発表した理論の中で、人は同じ金額であっても、得るときの喜びより失うときの痛みの方を強く感じる傾向があることを示しました。この理論はプロスペクト理論と呼ばれます。この傾向は、経営判断において、すでに投じた資金や時間を惜しんで、損失を確定させる決定を先延ばしにする形で現れます。

📝 補足 プロスペクト理論が示す損失回避の傾向は、すでに投じてしまって取り戻せない費用、いわゆるサンクコストへの執着とも結びつきます。「ここまで投資したのだから、もう少し続ければ」という感覚は、多くの経営者が経験するものですが、期待値の計算に立ち返れば、過去に投じた金額は将来の意思決定に影響を与えるべきではありません。今後どれだけの追加投資で、どれだけの追加リターンが見込めるかだけを、あらためて計算し直すことが重要です。

この2つの癖に共通する対処法は、判断のたびに数字に立ち返ることです。損失を確定させる決定、つまり損切りの判断は、感情の面では最も避けたい選択です。しかし、期待値の計算に立ち返り、「このまま続けた場合の今後の期待値」と「ここで損切りした場合の期待値」を比較すれば、感情に流されずに判断できます。損切りの基準そのものを事前に体系立てて設計する技術は、事業からの撤退を専門に扱う入門コースの領域ですが、本レッスンで扱う期待値の考え方は、その基準を判断する際の土台として役立ちます。

⚠️ 注意 「もう少し続ければ回収できるかもしれない」という感覚が強く出たときこそ、プロスペクト理論の罠にかかっているサインだと疑ってください。感覚そのものを否定する必要はありませんが、必ず期待値の再計算とセットで確認する習慣を持ちましょう。

段階投資という考え方

期待値がプラスであっても、いきなり全額を投じることが最善とは限りません。不確実性が高い判断では、投資を段階に分け、初期の少額投資で得られた情報をもとに、次の投資額を決めるという進め方が有効です。これを段階投資と呼びます。

段階投資の考え方は、次の3つのステップで整理できます。

第1のステップは、小さく試すことです。全体の投資額のうち、まずは1割から2割程度の金額で、実際に市場や顧客の反応を確かめます。この段階の目的は利益を出すことではなく、情報を得ることです。

第2のステップは、結果を確認することです。小さく試した結果、当初の見積もりと実際の反応がどれだけ一致していたかを確認します。見積もりよりも良い反応が得られれば、次の投資額を増やす根拠になります。見積もりより悪ければ、投資を打ち切る根拠になります。

第3のステップは、追加投資か撤退かを判断することです。得られた情報をもとに、当初の期待値を計算し直します。期待値が改善していれば追加投資に進み、悪化していれば追加投資を見送ります。

段階投資は、金融の世界で「リアルオプション」と呼ばれる考え方に近いものです。将来の情報が明らかになるまで、大きな決定を待つ権利を持っておくという発想です。全額を一度に投じてしまうと、この「待つ権利」そのものを失います。

💡 ポイント 段階投資の本質は、「情報を先に買う」という発想です。1回目の投資は利益のためではなく、次の判断材料を手に入れるための投資だと割り切ることで、失敗したときの損失も限定できます。

例えば、新しい地域に営業拠点を出す判断を考えます。いきなり10人規模の支店を構えるのではなく、まず1人の営業担当者を月20万円のコストで半年間派遣し、その地域での反応を確かめる。その結果が良ければ、次に3人規模の拠点を検討する。この段階を踏むことで、10人規模の支店を作ってから失敗に気づくよりも、はるかに小さな損失で情報を得られます。

ダウンサイドの上限管理

期待値がプラスであっても、見過ごしてはいけないことがあります。それは、最悪のケースでどれだけの損失が出るかという、ダウンサイドの大きさです。

期待値の計算では、成功と失敗の結果を確率で加重平均するため、めったに起きない大損失の影響が、数字の上では小さく見えてしまうことがあります。しかし、会社の存続という観点では、平均値がどれだけ良くても、一度の大損失で資金が尽きてしまえば、次の判断の機会そのものが失われます。

そのため、期待値の計算とは別に、必ず確認すべき問いがあります。「最悪のケースが実際に起きたとき、会社は倒れないか」という問いです。この問いに自信を持って「はい」と答えられない投資は、期待値がどれほど魅力的でも、そのままの規模で実行すべきではありません。

具体的には、最悪のケースの損失額を、手元資金と比較します。手元資金の1割から2割程度に収まる損失であれば、多くの場合は許容範囲です。手元資金の半分を超えるような損失が想定される場合は、投資額そのものを圧縮するか、段階投資に切り替えるか、あるいは実行そのものを見送る判断が必要です。

手元資金2,000万円の会社を例に確認します。ある投資案の期待値がプラス300万円だったとしても、最悪のケースの損失が1,800万円だった場合、この投資は手元資金の9割を失う可能性を含んでいます。期待値だけを見れば魅力的でも、この規模の損失が現実になれば、翌月の給与や仕入先への支払いが滞る危険があります。このような場合は、投資額を減らして最悪の損失を500万円程度に抑える、あるいは段階投資に切り替えて最初の投資額を200万円に絞るなど、期待値を多少犠牲にしてでもダウンサイドを圧縮する判断が優先されます。

⚠️ 注意 「期待値がプラスだから実行する」という判断だけでは不十分です。期待値の計算とダウンサイドの上限管理は、必ずセットで行ってください。期待値が高い投資ほど、同時に大きな損失の可能性を含んでいることが多く、この2つを別々に確認する習慣が、会社を守る最後の砦になります。

確率を数字にできないときの扱い方

ここまでの説明では、成功確率や損失額をあらかじめ数字で示してきました。しかし、実際の経営判断では、確率を明確な数字にできないことが多くあります。まったく新しい市場への参入や、前例のない技術への投資では、「確率5割」といった数字を出す根拠自体がないこともあるでしょう。

このような場合、無理に精密な確率を捏造する必要はありません。代わりに、次の3つの方法が実務的です。

第1の方法は、幅を持たせることです。「確率30%から50%の範囲」というように、単一の数字ではなく範囲で見積もり、その範囲の両端でそれぞれ期待値を計算します。両端のどちらでも期待値がプラスであれば、確率の見積もりに多少の誤差があっても判断は揺らぎません。

第2の方法は、相対比較に切り替えることです。「絶対的な確率はわからないが、選択肢Aは選択肢Bより成功しやすいはずだ」というように、確率そのものではなく、選択肢同士の相対的な優劣で判断します。

第3の方法は、段階投資に頼ることです。確率が読めないほど不確実性が高い場合こそ、小さく試して情報を得るという段階投資の考え方が力を発揮します。数字が読めないなら、数字が読めるようになるまでの投資額を小さく抑える、という発想の転換です。

📖 もっと詳しく なお、本レッスンで扱った期待値・デシジョンツリー・段階投資は、いずれも判断の材料を整理するための道具であり、いつ撤退するかという基準そのものの設計は扱いません。撤退基準の体系的な設計については、起業に関する既刊コースや、今後扱われる予定の方向転換に関する入門コースを参照してください。

まとめ

このレッスンでは、以下のことを学びました。

  • 「勘」には、経験に基づく確率の感覚と、その場の気分による揺れの2種類が混ざっており、数字にすることで両者を切り分けられる
  • 期待値は、起こりうる結果に確率をかけて合計した数字で、複数の選択肢を比較する基本的な物差しになる
  • デシジョンツリーは、決定の分岐点と結果を書き出す図で、最悪の場合の損失額を見落とさないために役立つ
  • 段階投資は、小さく試して情報を得てから追加投資を判断する考え方で、失敗したときの損失を限定できる
  • 期待値がプラスでも、最悪のケースで会社が倒れないかというダウンサイドの上限管理を必ずセットで行う
  • 確率を数字にできないときは、幅を持たせる、相対比較に切り替える、段階投資に頼るという3つの方法で対応する
  • ヒューリスティックとプロスペクト理論という2つの心理的な癖が、数字に基づく判断を歪めることがあるため、判断のたびに数字へ立ち返る習慣を持つ

次のレッスンでは、オーナー経営者に固有の重石である経営者保証が、判断そのものをどのように縛っているかという構造を扱います。


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