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スキルアップカレッジ

経営課題を人事の課題に翻訳する

レッスン4:経営課題を人事の課題に翻訳する

このレッスンで学ぶこと

  • 曖昧な相談を、扱える大きさの課題に分解する手順を身につける
  • 分解した課題に対して、打ち手の選択肢を幅広く並べる方法を理解する
  • 人事の施策では解けない問題を見分ける視点を持つ
  • 複数の打ち手に優先順位をつける考え方を学ぶ

前回のレッスンでは、組織を構造・プロセス・文化・人という 4 つの枠組みで診断し、症状の奥にある原因を見立てる方法を扱いました。今回は、その見立てをもとに、経営課題を人事の課題として翻訳し、実際に動ける形に整える手順を扱います。

翻訳という作業の全体像

経営課題を人事の課題に翻訳するというと、難しい専門技術のように聞こえるかもしれませんが、実際にしていることはシンプルです。事業責任者から受け取った曖昧な相談を、扱える大きさに分解し、いくつかの打ち手の候補を並べ、そのうえで人事が担える範囲かどうかを見極め、優先順位をつけて動き出す——この一連の流れが翻訳の中身です。

前回のレッスンで扱った組織診断が「何が起きているか」を見立てる作業だとすれば、本レッスンで扱う翻訳は「見立てをもとに、何をするか」を決める作業にあたります。診断だけで終わってしまうと、事業責任者にとっては「原因はわかったが、次にどうすればいいのか」という宙ぶらりんな状態が残ります。翻訳の作業を経て初めて、見立ては実際の行動につながります。

💡 ポイント 翻訳は、診断の結果を否定するものでも、置き換えるものでもありません。診断で見立てた原因を土台にして、その原因に対して何ができるかを具体的な選択肢に落とし込む作業です。診断と翻訳は、セットで機能します。

曖昧な相談を分解する

事業部からの相談は、多くの場合、大きく曖昧な形でやってきます。「エンジニアが辞める」「若手が育たない」「現場のモチベーションが低い」——これらの言葉は、そのままでは打ち手を考えることができません。まず必要なのは、この大きな塊を、扱える大きさに分解する作業です。

分解の方法として有効なのが、「誰が」「いつ」「何を」という 3 つの軸で相談を切り分けることです。「エンジニアが辞める」という相談であれば、「誰が辞めているのか」を確認します。新卒 2、3 年目が中心なのか、中堅のベテランが中心なのかによって、背景にある課題はまったく異なります。「いつ辞めているのか」を確認します。入社後すぐなのか、昇格の直後なのか、特定の時期に集中しているのかによって、手がかりが変わります。「何が引き金になっているのか」を確認します。特定のプロジェクトの後なのか、特定の上司の着任後なのかによって、対象とすべき範囲が変わります。

📝 補足 この分解作業は、レッスン3で扱ったヒアリングとあわせて行うと効果的です。ヒアリングで集めた情報を、「誰が」「いつ」「何を」という軸に沿って整理し直すことで、曖昧だった相談が、具体的に扱える課題の形に変わっていきます。

分解が進むと、1 つの大きな相談が、実は複数の異なる課題の集まりだったことが見えてくることがあります。「エンジニアが辞める」という 1 つの相談が、分解してみると「新卒 2、3 年目の離職」と「中堅の突発的な離職」という、性質の異なる 2 つの課題だったというケースは珍しくありません。この場合、両者に同じ打ち手を当てはめても効果は限られます。それぞれを別の課題として扱う必要があります。

flowchart TD
  A[曖昧な相談<br/>エンジニアが辞める] --> B[誰が辞めているか]
  A --> C[いつ辞めているか]
  A --> D[何が引き金か]
  B --> E[扱える大きさの課題]
  C --> E
  D --> E

図1:曖昧な相談を分解する流れです。1 つの大きな相談を、「誰が」「いつ」「何を」という 3 つの軸で切り分けることで、扱える大きさの課題として浮かび上がらせます。

打ち手の選択肢を並べる

課題が扱える大きさに分解できたら、次はその課題に対する打ち手の選択肢を並べます。ここで注意したいのは、最初に思いついた 1 つの打ち手にすぐ飛びつかないことです。1 つの案だけを持って事業責任者のところに行くと、その案が却下された時点で提案自体が行き詰まってしまいます。複数の選択肢を並べておくことで、対話の中で調整する余地が生まれます。

選択肢を並べる際は、コストの異なる複数の案を用意すると、事業責任者にとって判断しやすくなります。例えば、「新卒 2、3 年目の離職」という課題に対して、すぐに始められる小さな案、ある程度の準備期間が必要な中規模の案、体制そのものを見直す大きな案という具合に、規模の異なる選択肢を並べます。

規模 打ち手の例 特徴
小さい 若手同士の情報交換の場を設ける すぐに始められるが、効果は限定的
中程度 育成担当者を明確にし、定期的な面談を設計する 準備は必要だが、比較的短期間で効果が見込める
大きい 配属や評価の仕組みそのものを見直す 効果は大きいが、合意形成に時間がかかる

表 1:規模の異なる打ち手の選択肢の例です。事業責任者の状況によって、すぐに動ける小さな案を求めている場合もあれば、根本的な見直しを求めている場合もあります。複数の規模の案を用意しておくことで、相手の状況に合わせた提案ができます。

⚠️ 注意 選択肢を並べる際、人事にとって実施しやすい案ばかりを並べてしまう傾向には注意が必要です。事業部にとっての効果よりも、人事側の実施のしやすさを優先してしまうと、事業責任者からは「結局、人事がやりたいことをやっているだけ」と受け取られかねません。常に、事業部にとっての効果を起点に選択肢を組み立てる姿勢が求められます。

選択肢の数についても、目安を持っておくと実務がしやすくなります。1 つだけでは、その案が却下された時点で行き詰まりますが、5 つも 6 つも並べると、事業責任者にとってはかえって判断材料が多すぎて選びにくくなります。多くの場合、2 つから 3 つ程度に絞り込んで提示すると、対話の中で調整しながら合意にたどり着きやすくなります。

💡 ポイント 選択肢を並べる目的は、事業責任者に丸投げして選んでもらうことではありません。人事としての推奨案を持ちながら、代替案もあわせて示すことで、対話の余地を残しつつ、判断の軸を提供する姿勢が実務的です。「私はこの案を推奨しますが、状況に応じてこちらの案も考えられます」という伝え方が、1 つの型として使えます。

人事で解けない問題を見分ける

打ち手の選択肢を並べる過程で、しばしば直面するのが、そもそも人事の施策では解決できない問題だったという発見です。すべての課題が人事の打ち手で解決できるわけではないという前提を持っておくことは、翻訳の質を左右する重要な視点です。

人事で解けない問題の典型例として、事業戦略そのものに起因する課題があります。例えば、「営業担当者が疲弊している」という相談を分解していくと、実は事業計画で掲げた目標そのものが、現在の人員数に対して過大だったという構造的な問題にたどり着くことがあります。この場合、いくら育成やケアの仕組みを整えても、根本的な解決にはなりません。事業計画の目標設定そのものを見直す議論が必要であり、それは人事だけで完結できる話ではありません。

もう 1 つの典型例は、事業責任者のマネジメントスタイルに起因する課題です。「チームの雰囲気が悪い」という相談の原因が、特定の管理職の言動にある場合、人事が制度や研修で間接的に働きかけることはできても、その管理職本人が変わる意思を持たない限り、根本的な解決には至りません。

🔰 初学者の方へ 人事で解けない問題を見分けることは、「人事は無力だ」と諦めることではありません。むしろ、人事の施策で解ける範囲と、事業側の意思決定が必要な範囲を正確に見分けることで、後者については「これは事業側の判断が必要な問題です」と率直に伝えられるようになります。この率直さこそが、事業責任者からの信頼につながります。

人事で解けない問題だと判断した場合、そこで終わらせるのではなく、「誰が意思決定すべき問題か」を明確にして事業責任者に伝えることが、HRBPとしての役割になります。事業計画の見直しが必要であれば、その旨を伝えたうえで、人事として支援できる部分、例えば新しい目標設定のもとでの人員体制の検討などを提案します。

この境界の伝え方には、工夫の余地があります。「それは人事の範囲外です」とだけ伝えると、突き放されたような印象を与え、事業責任者との関係を損ないかねません。代わりに、「ここまでは人事として支援できますが、ここから先は事業側での判断が必要になります」というように、支援できる範囲と、事業側の判断が必要な範囲を並べて伝える言い方のほうが、対話を続けやすくなります。

境界を伝えたあとも、関わりを完全に手放すわけではありません。事業計画の見直しという意思決定そのものには関与できなくても、その意思決定がなされたあとに、新しい体制のもとでどんな人員配置や育成が必要になるかを一緒に考える立場は保てます。人事で解けない問題を見分けることは、関わりをやめる合図ではなく、関わり方を切り替える合図だと捉えてください。

優先順位のつけ方

分解した課題と、それぞれの打ち手の選択肢が揃ったら、最後に優先順位をつけます。事業部から寄せられる相談は、しばしば複数が同時に進行しており、すべてに同じ熱量で取り組むことは現実的ではありません。

優先順位をつける際の軸として、「事業への影響度」と「着手のしやすさ」という 2 つの軸を組み合わせる方法が実務的です。

事業への影響度 着手のしやすさ 判断
高い しやすい 最優先で取り組む
高い 難しい 時間をかけて合意形成を進める
低い しやすい 余力があれば対応する
低い 難しい いったん保留にする

表 2:事業への影響度と着手のしやすさを組み合わせた優先順位づけの目安です。すべての課題に同じ熱量で取り組むのではなく、この 2 軸で整理することで、限られた時間をどこに使うべきかが見えてきます。

📖 もっと詳しく 優先順位を判断する際、事業への影響度は、レッスン2で扱ったP/LやKPIとのつながりを意識すると評価しやすくなります。着手のしやすさは、事業責任者の関心の強さや、必要な合意形成の範囲を手がかりに判断します。この判断を 1 人で抱え込まず、事業責任者と一緒に優先順位を確認する対話を持つことも有効です。

優先順位をつけたら、それを事業責任者と共有し、合意を得ることも欠かせません。人事だけで優先順位を決めて動き出すと、事業責任者にとって「なぜこれが後回しにされているのか」が見えず、不信感につながることがあります。優先順位そのものを対話の材料にすることで、事業責任者との認識のずれを防げます。

一連の流れをミニケースで確認する

ここまで扱った手順を、1 つの流れとして確認します。ある製造業の事業部から、「若手のエンジニアがなかなか定着しない」という相談が寄せられたとします。

まず、相談を分解します。ヒアリングを重ねると、離職しているのは主に入社 2、3 年目の設計担当者で、退職の時期は大きなプロジェクトが一段落した直後に集中していることがわかりました。この時点で、相談は「若手のエンジニア全般」ではなく、「プロジェクトの節目で離職する入社 2、3 年目の設計担当者」という、扱える大きさの課題に絞り込まれます。

次に、打ち手の選択肢を並べます。すぐに始められる案として、プロジェクトの節目に振り返りの面談を設ける案があります。中規模の案として、若手が携わるプロジェクトの割り振り方そのものを見直す案があります。大きな案として、設計部門全体のキャリアパスを再設計する案があります。

続いて、人事で解ける範囲を見極めます。ヒアリングをさらに進めると、離職の背景には、プロジェクトが終わるたびに次の配属が場当たり的に決まり、本人の希望や成長の方向性がほとんど考慮されていないという構造的な課題が見えてきました。配属の決め方そのものは、設計部門の管理職の裁量に委ねられており、人事の制度変更だけでは解決できない部分を含んでいます。この場合、人事として提案できるのは、振り返り面談の仕組み化や、配属時に本人の希望を確認する場の設計までであり、管理職の配属判断そのものに介入することは、事業側の意思決定として切り分けます。

最後に、優先順位をつけます。振り返り面談の仕組み化は、着手しやすく、事業への影響も見込めるため最優先とし、配属の希望確認の仕組みは、管理職との合意形成に時間がかかるため、次の段階で取り組む対象として整理しました。

📝 補足 このミニケースが示すとおり、翻訳の作業は一度で終わる直線的な手順ではなく、分解と選択肢の検討を行き来しながら進むことが実際には多くあります。手順を機械的になぞることよりも、事業責任者との対話を重ねながら、見立てと選択肢を少しずつ具体化していく姿勢のほうが重要です。

このミニケースを、翻訳の 4 つの手順に沿って整理し直すと、次のようになります。

手順 このケースでの内容
分解 「若手のエンジニア全般」から「プロジェクトの節目で離職する入社 2、3 年目の設計担当者」へ絞り込む
選択肢の提示 振り返り面談の仕組み化、プロジェクト割り振りの見直し、キャリアパスの再設計という 3 つの規模の案を用意する
人事で解ける範囲の見極め 配属判断そのものは管理職の裁量であり、人事は面談や希望確認の場の設計までを担う
優先順位づけ 着手しやすく効果も見込める振り返り面談の仕組み化を最優先とする

表 3:ミニケースを翻訳の 4 つの手順に沿って整理した表です。それぞれの手順が独立して完結するのではなく、前の手順で得られた情報が、次の手順の判断材料になっていることが確認できます。

まとめ

このレッスンでは、以下のことを学びました。

  • 経営課題を人事の課題に翻訳する作業は、曖昧な相談の分解、打ち手の選択肢の提示、人事で解ける範囲の見極め、優先順位づけという流れで進む
  • 曖昧な相談は、「誰が」「いつ」「何を」という 3 つの軸で分解すると、扱える大きさの課題として浮かび上がる
  • 打ち手の選択肢は、規模の異なる複数の案を並べ、人事側の実施しやすさではなく事業部にとっての効果を起点に組み立てる
  • 事業戦略や特定の管理職のマネジメントスタイルに起因する問題は、人事の施策だけでは解決できないことがあり、これを見分けて率直に伝える姿勢が信頼につながる
  • 優先順位は、事業への影響度と着手のしやすさという 2 つの軸で整理し、事業責任者と共有して合意を得る

翻訳の作業は、1 回の相談で完成させる必要はありません。分解が足りなければヒアリングを重ね、選択肢が事業に響かなければ別の角度から並べ直し、優先順位が事業の状況変化に合わなくなれば見直す——この行き来を重ねることで、翻訳の精度は少しずつ上がっていきます。

次のレッスンでは、翻訳した課題と打ち手を、実際に事業責任者に届け、動いてもらうための「権限なき影響力」を扱います。呼ばれる関係の作り方、提言と傾聴のバランス、反対されたときの引き方を学びます。


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