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スキルアップカレッジ

権限なき影響力——事業責任者との関係

レッスン5:権限なき影響力——事業責任者との関係

このレッスンで学ぶこと

  • 事業責任者から呼ばれる関係を作る具体的な行動を理解する
  • 提言と傾聴のバランスを、場面に応じて調整できるようになる
  • 反対されたときに、関係を壊さずに引く判断ができるようになる
  • 事実で押し、感情で押さないという姿勢を、実際の対話の中で使えるようになる

前回のレッスンでは、曖昧な相談を分解し、打ち手の選択肢を並べ、人事で解けない問題を見分け、優先順位をつける「翻訳」の手順を扱いました。今回は、その翻訳した内容を、実際に事業責任者に届け、動いてもらうための「権限なき影響力」を扱います。

権限がないという前提から出発する

HRBPには、多くの場合、事業部の人員に対する直接の指揮命令権も、異動や評価を最終的に決定する権限もありません。決定権を持つのは、あくまで事業責任者です。この前提を最初にはっきりさせておくことが、本レッスンの出発点になります。

権限がないという事実を、弱さとして捉える必要はありません。権限で人を動かそうとする関わり方は、その場では通用しても、長続きしないことが少なくありません。指示に従わせることはできても、納得を引き出すことはできないからです。権限がないからこそ、事実の裏づけと、日頃からの信頼で動くという発想に切り替える必要があります。これが、本コースが繰り返し伝えてきた「権限なき影響力」の中身です。

💡 ポイント 権限なき影響力とは、口先だけで相手を説得する技術ではありません。事実に基づいた見立てを持ち、日頃の信頼を積み重ね、相手の状況を理解したうえで対話に臨むという、地道な積み重ねの結果として生まれるものです。

呼ばれる関係の作り方

事業責任者から相談を持ちかけられる関係を作ることは、権限なき影響力の土台になります。レッスン1で紹介した講師の経験のように、最初から相談される関係が用意されているわけではなく、多くの場合は時間をかけて築いていくものです。

呼ばれる関係を作るために有効な行動をいくつか整理します。第1に、相談されていない場面でも顔を出すことです。事業部の定例会議や現場に、用がなくても定期的に顔を出していると、事業責任者にとって「困ったときに声をかけやすい人」という認識が徐々に育ちます。第2に、小さな相談に丁寧に応じることです。大きな相談がいきなり来ることは少なく、まずは些細な確認や雑談のような相談から始まることが一般的です。ここでの対応が丁寧であるほど、次の相談につながります。第3に、約束したことを確実に守ることです。「調べておきます」と言ったことを期日通りに返す、という当たり前の積み重ねが、信頼の土台になります。

📝 補足 これらの行動は、どれも特別な技術を必要としません。むしろ、地味で目立たない行動の積み重ねです。呼ばれる関係は、1 回の見事なプレゼンテーションではなく、こうした日々の積み重ねの結果として生まれます。

呼ばれる関係ができてくると、事業責任者からの相談の質そのものが変わっていきます。着任した当初は、制度の使い方を尋ねる程度の相談が中心だったとしても、信頼が積み重なるにつれて、「実は、こんなことで困っている」という、より踏み込んだ相談が寄せられるようになります。この変化こそが、HRBPとして事業部に入り込めているかどうかの目安になります。

flowchart LR
  A[用がなくても顔を出す] --> D[呼ばれる関係]
  B[小さな相談に丁寧に応じる] --> D
  C[約束を確実に守る] --> D
  D --> E[相談の質が変わる<br/>制度の質問から踏み込んだ相談へ]

図1:呼ばれる関係が育つまでの流れです。3 つの行動が同時に、かつ継続的に積み重なることで、事業責任者からの相談の質そのものが変化していきます。1 回だけの行動では、この変化は起きません。

⚠️ 注意 呼ばれる関係は、一度築けば永続するものではありません。担当者の異動や、事業責任者の交代によって、関係は一からやり直しになることもあります。築いた関係にあぐらをかかず、日頃の積み重ねを続ける姿勢が必要です。

提言と傾聴のバランス

事業責任者との対話では、こちらの見立てや提案を伝える「提言」と、相手の話をじっくり聞く「傾聴」の両方が必要になります。この 2 つは対立するものではなく、場面に応じてバランスを調整するものです。

信頼関係を築いている段階や、事業責任者がまだ課題を整理しきれていない段階では、傾聴に重心を置くことが有効です。こちらの見立てを急いで伝えるよりも、まず相手の話を十分に聞き、事業責任者自身が状況を言語化する手助けをすることが、この段階での役割になります。

一方、見立てがある程度固まり、事業責任者が打ち手を求めている段階では、提言に重心を移します。傾聴ばかりを続けていると、「結局、人事は何も提案してくれない」という印象を与えてしまうことがあります。事実と見立てが揃った段階では、はっきりとした提言を行う姿勢が求められます。

場面 重心の置き方 具体的な行動
信頼関係を築いている段階 傾聴に重心 相手の話を遮らず、状況の言語化を手伝う
課題がまだ曖昧な段階 傾聴と軽い提言のバランス 「こういう可能性もありますか」と仮説を添えながら聞く
見立てが固まり打ち手を求められている段階 提言に重心 事実と根拠を添えて、はっきりと提案する

表 1:場面ごとの提言と傾聴のバランスの目安です。どちらか一方に偏り続けるのではなく、事業責任者の状況を見ながら重心を調整する姿勢が求められます。

⚠️ 注意 傾聴に偏りすぎると「何も提案しない人」と見られ、提言に偏りすぎると「話を聞かない人」と見られます。どちらの偏りも、呼ばれる関係を損なう要因になります。自分がどちらに偏りやすいかを、日頃から意識しておくとよいでしょう。

事実で押す、感情で押さない

事業責任者との対話の中で、意見が対立する場面は避けられません。このとき、どう対立を乗り越えるかが、権限なき影響力の質を左右します。本コースが繰り返し伝えているのは、事実で押し、感情で押さないという姿勢です。

事実で押すとは、感覚や印象ではなく、データやヒアリングで得た具体的な事実を根拠に伝えることです。「なんとなく現場の雰囲気が悪いように感じます」ではなく、「複数の退職者へのヒアリングで、同じ内容の発言が繰り返し出ています」というように、具体的な事実を示すことで、事業責任者は反論するにも根拠を求められ、感情的な水掛け論になりにくくなります。

感情で押すとは、「人事としてどうしても納得できません」「これでは社員がかわいそうです」というように、こちらの感情を根拠に相手を動かそうとする関わり方です。感情そのものが間違っているわけではありませんが、感情だけを根拠にした主張は、事業責任者にとって「人事の個人的な思い」として受け止められやすく、意思決定の材料にはなりにくいものです。

🔰 初学者の方へ 事実で押すという姿勢は、感情を持たないことを意味するのではありません。むしろ、社員のことを大切に思う気持ちがあるからこそ、その気持ちを説得力のある形に変えるために、事実という土台を用意するのだと考えてください。感情は動機であり、事実は伝え方です。

事業責任者ごとのスタイルの違いを見極める

ここまで扱った提言と傾聴のバランス、事実で押す姿勢は、どの事業責任者にも一律に当てはまる型ではありません。事業責任者ごとに、対話の好みやペースには違いがあります。この違いを見極めることも、権限なき影響力を発揮するうえで欠かせない視点です。

数字を積み上げた資料を好み、結論から端的に伝えることを求める事業責任者もいれば、まず背景や経緯を丁寧に共有し、対話を重ねながら結論にたどり着くことを好む事業責任者もいます。前者に対して背景説明から入ると、「結局何が言いたいのか」と感じさせてしまうことがありますし、後者に対して結論だけを先に伝えると、「性急だ」という印象を与えてしまうことがあります。

📝 補足 事業責任者のスタイルを見極める最も確実な方法は、日頃のやり取りを観察することです。会議での発言の仕方、資料への反応、質問の傾向などから、その人がどんな伝え方を好むかが少しずつ見えてきます。最初の数回のやり取りで、相手のペースに合わせる調整を試みる姿勢が有効です。

スタイルの違いを見極めることは、迎合することとは異なります。事実に基づいた見立てという中身を変える必要はなく、あくまでその中身をどう並べ、どう伝えるかという表現の部分を、相手に合わせて調整するということです。中身まで相手に合わせてしまうと、権限なき影響力の土台である事実の裏づけが揺らいでしまいます。

反対されたときの引き方

どれだけ丁寧に事実を積み上げても、事業責任者に反対されることはあります。このとき、どう引くかが、次の相談につながるかどうかを左右します。

反対されたときにまず避けたいのは、その場で押し切ろうとすることです。感情的にならずに事実を重ねて説得しようとする粘り強さは大切ですが、事業責任者が一度「今回は難しい」と判断した場面で、なおも食い下がると、「この人は自分の意見を通したいだけだ」という印象を残してしまいます。

有効な引き方の 1 つは、いったん引いたうえで、次の機会を確保することです。「わかりました。今回は見送りますが、状況が変わったときには改めて相談させてください」と伝えることで、提案自体は取り下げつつ、関係は切らずに残せます。もう 1 つの有効な引き方は、反対された理由を確認することです。「差し支えなければ、今回見送る理由を教えていただけますか」と尋ねることで、次の提案の精度を上げるための手がかりを得られます。

📖 もっと詳しく 反対された理由の中に、こちらが把握していなかった事業側の事情が含まれていることは少なくありません。反対を「拒絶」として受け止めるのではなく、「まだ伝えきれていない情報がある」というサインとして受け止める姿勢が、次の対話につながります。

反対された経験は、失敗ではなく、事業責任者の判断基準を知る機会でもあります。何を根拠に反対したのかを丁寧に振り返ることで、次に同じような提案をする際の伝え方が磨かれていきます。

具体的な伝え方の例を、避けたい言い回しと、代わりに使える言い回しという形で整理しておきます。

場面 避けたい言い回し 代わりの言い回し
その場で押し切ろうとする それでもこの案で進めさせてください わかりました。今回は見送りますが、状況が変わったときには改めて相談させてください
反対の理由を確認しない それでは今回は諦めます 差し支えなければ、今回見送る理由を教えていただけますか
反発を示す 納得できませんが、従います 理由は理解しました。次回、その点を踏まえて提案し直します

表 2:反対されたときの言い回しの例です。共通しているのは、反対そのものを否定せず、次の対話につながる形で受け止めていることです。

🔰 初学者の方へ 反対されると、つい防御的な言葉が先に出てしまうことがあります。あらかじめこうした言い回しを自分の中で用意しておくと、実際にその場面に直面したときに、落ち着いて対応しやすくなります。

講師の現場メモ——事業部長に詰められた会議

2 つ目の事業部を担当していたときのことです。ある部署で若手の離職が続いていることを見立て、育成担当を明確にする仕組みを提案するため、事業部長との会議に臨みました。事前にデータを整理し、退職者へのヒアリング結果もまとめ、それなりに準備をして会議に臨んだつもりでした。

会議が始まってすぐ、事業部長から「その提案の前に、なぜ今このタイミングなのか説明してください」と問われました。私は、離職が続いていることの深刻さを説明しようとしましたが、事業部長は「それは知っている。今聞きたいのは、なぜ今、このコストをかけてまで対応する必要があるのかだ」と重ねて問いました。

その場で、私は事業のスケジュールをきちんと把握していないまま提案していたことに気づきました。実はその部署は、数か月後に大きな受注案件を控えており、今のタイミングで育成担当の仕組みを新たに立ち上げることは、現場の負荷をさらに増やしかねない状況でした。事業部長は、その事情を踏まえたうえで、私の提案のタイミングを問い詰めていたのです。

その場では、正直に「事業のスケジュールを十分に把握できていませんでした」と認め、提案をいったん取り下げました。数週間かけて、受注案件のスケジュールと、それが落ち着く時期を確認し直し、育成担当の仕組みを立ち上げるタイミングを見直した案を、改めて持っていきました。今度は、事業部長からも「そのタイミングなら問題ない」という返事をもらえました。

この経験から学んだのは、事実を積み上げることと、その事実が事業のどのタイミングに置かれているかを理解することは、別の作業だということです。正しい見立てであっても、事業のリズムを無視したタイミングで提案すれば、通らないどころか、信頼を損なうことすらあります。今でも、提案の前には「これは、事業にとって今のタイミングなのか」を自分に問うようにしています。

まとめ

このレッスンでは、以下のことを学びました。

  • HRBPには決定権がないという前提を出発点に、事実の裏づけと日頃の信頼で動く「権限なき影響力」が必要になる
  • 呼ばれる関係は、用がなくても顔を出す、小さな相談に丁寧に応じる、約束を確実に守るという地道な積み重ねから生まれる
  • 提言と傾聴は対立するものではなく、事業責任者の状況に応じて重心を調整する
  • 対立する場面では、感覚や個人の感情ではなく、データやヒアリングで得た事実を根拠に伝える姿勢が有効である
  • 反対されたときは、その場で押し切ろうとせず、いったん引いて次の機会を確保し、反対の理由を確認する姿勢が次の対話につながる

次のレッスンでは、権限なき影響力を土台に、組織が変化を迫られる場面でHRBPが担うチェンジエージェントとしての実務を扱います。抵抗の見立て、キーパーソンの巻き込み方、移行期に壊れやすいものを学びます。


確認クイズ

このレッスンの理解度をチェックしましょう。