事業ポートフォリオ組み替えの実践
レッスン3:事業ポートフォリオ組み替えの実践
このレッスンで学ぶこと
- ROIC ツリー分解と事業別 WACC 設定の実務を扱う
- ROIC スプレッドと事業ポートフォリオ 4 象限で事業を評価する
- 撤退基準の事前明文化とカーブアウトの意思決定順序を組み立てる
- 事業売却実例(東芝メモリ→キオクシア/日立化成→昭和電工/東芝 3 分割案→非公開化)を持ち帰る
前のレッスンの振り返り
シナリオプランニング(Herman Kahn 1950s /Shell 1970s)で楽観・基本・悲観の 3 シナリオを並置、業界構造変化は Disruption /Substitution /Consolidation の 3 パターン。戦略仮説の MECE ツリーで既存事業/新規事業/M&A の 3 分岐、Where to play × How to win(Roger Martin 2013)の 5 問カスケードで戦略を組み立て、意思決定マトリクス(重要度 × 実現可能性)で絞り込みます。本レッスンでは、戦略仮説を実装レベルに落とす事業ポートフォリオ組み替えに踏み込みます。
ROIC ツリー分解
ROIC(Return on Invested Capital)は投下資本利益率で、事業別収益性の中核指標です。事業ポートフォリオ組み替えの起点になります。
計算式と分解
- ROIC = NOPAT / 投下資本 = 営業利益 × (1 − 実効税率) / (有利子負債 + 株主資本)
- ROIC = 営業利益率 × 投下資本回転率
さらに営業利益率と投下資本回転率を分解:
- 営業利益率 = 売上高 - 売上原価 - 販管費 / 売上高
- 投下資本回転率 = 売上高 / 投下資本
- 投下資本回転率 = 売上高 / (運転資本 + 固定資産)
ROIC ツリーで各要素を可視化することで、ROIC 改善のドライバー(利益率改善 or 回転率改善)を特定できます。
事業別 ROIC 算定の実務
事業別 ROIC を算定するには、次の情報が必要です。
- 事業別 P/L(売上・営業利益)
- 事業別 B/S(運転資本・固定資産)
- 共通費配賦(本社機能・研究開発費・IT 費用)
- 事業別税負担(実効税率)
多くの会社は事業別 P/L は開示していますが、事業別 B/S を持たないケースが多く、中計策定の 3〜6 か月前から準備を始める必要があります。管理会計関連の入門コースで扱われるセグメント損益設計・共通費配賦の実務が、事業別 ROIC 算定の前提として求められます。
事業別 WACC 設定の実務
WACC(Weighted Average Cost of Capital)は加重平均資本コストで、投資判断・事業評価の基準金利です。
標準的な WACC 算定式
- WACC = E/(D+E) × Re + D/(D+E) × Rd × (1 − 実効税率)
- Re(株主資本コスト)= リスクフリーレート + β × 市場リスクプレミアム
- Rd(負債コスト)= 有利子負債の平均利率
事業別 WACC 設定の意義
全社一律 WACC で事業別 ROIC を評価すると、リスクの高い事業が過大評価されます。事業別 WACC を設定することで、リスク調整後の事業評価が可能。
- 既存事業(成熟):全社 WACC 相当(例:5-7 %)
- 成長事業(拡大期):全社 WACC + 1-2 %(例:6-9 %)
- 新規事業(PoC 段階):全社 WACC + 3-5 %(例:8-12 %)
- 海外事業(新興国):全社 WACC + 国別リスクプレミアム(例:8-15 %)
事業別 β の推計
事業別 β(市場リスクへの感応度)は、次の 3 手法で推計します。
- 1. 同業ピュアプレイ β:類似事業の上場企業 β をアンレバレッジ→自社レバレッジで再調整
- 2. アンリー・レバレッジ β:業界別 β(Aswath Damodaran データベース等)を参照
- 3. 内部データ β:事業別過去業績と市場変動の相関から推計
日本企業では 2024 年以降、東証要請 2023/3/31 対応の一環で、事業別 WACC 設定と ROIC スプレッド開示が広がっています。
ROIC スプレッドと事業ポートフォリオ 4 象限
ROIC スプレッド = ROIC − WACC で事業の価値創造・破壊を判定します。
事業ポートフォリオ 4 象限
事業別 ROIC と成長率で 4 象限に分類:
- 右上(コア事業):ROIC > WACC 高い成長率——投資を継続、拡大戦略
- 左上(育成事業):ROIC < WACC 高い成長率——投資継続で ROIC 改善を待つ
- 右下(キャッシュ牛):ROIC > WACC 低い成長率——キャッシュ回収、成長事業に配分
- 左下(撤退候補):ROIC < WACC 低い成長率——撤退・売却・再構築
4 象限判定の実務
判定には次の指標を組み合わせます。
- ROIC 3 年平均(単年度の変動を吸収)
- WACC は事業別リスク調整後
- 成長率は業界成長率と自社成長率の比較(相対成長率)
- 戦略適合度(本業とのシナジー・技術資産の再利用性)
撤退基準の事前明文化
事業ポートフォリオ組み替えで最も難しいのは撤退判断です。中計策定時に「撤退基準」を明文化することが有効です。
標準的な撤退基準
- 1. 連続赤字 3 年:営業利益ベースで 3 年連続赤字
- 2. ROIC < WACC 継続:ROIC が WACC を 3 年連続で下回る
- 3. 市場シェア低下:主力市場でシェア 5 位以下が継続
- 4. シナジー消失:本業との戦略適合度が失われる
- 5. 事業価値の外部評価下落:M&A /DCF 評価で事業価値が投資額を下回る
これらの基準に該当した事業は、中計期間中に「継続投資」「再構築」「売却」「清算」の 4 選択肢で意思決定します。事前に基準を明文化することで、感情的な議論を避け、経営陣と社員の間で「撤退」への心理的準備を整えます。
撤退基準の運用ケース
- キリンホールディングス「事業ポートフォリオマネジメント」(2021 年):ROIC 基準を明示、複数事業の売却を実施
- パナソニックホールディングス「Panasonic Green Transformation」(2022 年):太陽電池事業の中国 GS-Solar への譲渡(2023 年完了)
- 日立製作所「日立グループ・ビジョン」(複数中計):日立化成売却・上場子会社削減の継続的組み替え
カーブアウトの意思決定順序
事業売却(カーブアウト)は次の 5 ステップで進めます。
ステップ 1:売却先探索(2-6 か月)
- FA(Financial Advisor)契約:投資銀行(Nomura Securities /SMBC 日興/みずほ/野村證券/Goldman Sachs /Morgan Stanley 等)
- 情報公開範囲の設定:入札方式(オープン/セミオープン/プライベート)
- 短期リストアップ(10-20 社)→ 中期リスト(3-5 社)
- NDA 締結、初期情報開示
ステップ 2:バリュエーション(1-2 か月)
- DCF /類似取引比較/類似上場企業比較の 3 手法
- 対象事業の standalone value(独立事業としての価値)算定
- シナジー価値の織り込み(買い手側)
- 交渉レンジの設定(下限価格)
ステップ 3:従業員説明(クローズ 30 日前後)
- 事業譲渡先の内諾取得後、社内発表
- 従業員への説明会(対象事業社員→本社社員→一般社員の順)
- 労働条件の維持・変更内容の説明
ステップ 4:労働組合合意(2-3 か月)
- 労組との事前協議
- 労働協約の承継・変更交渉
- 労組合意を条件とする案件も多い
ステップ 5:クロージング(3-6 か月)
- 独禁法・海外規制対応(各国当局への届出・審査)
- 契約締結・対価受領
- 事業引継ぎ(3-12 か月の移行期間)
カーブアウトの標準期間は 8-15 か月。中計期間 3 年のうち初年度でカーブアウト判断→ 2 年目でクロージング→ 3 年目でポートフォリオ再構築が実務パターン。
事業売却実例——4 大ケーススタディ
実例 1:東芝メモリ→キオクシア(2018)
- 2016 年:東芝の不適切会計問題を受け、成長性の高い半導体メモリ事業を売却して財務再建
- 2017 年 9 月:入札を経て、Bain Capital 主導のコンソーシアムに 2 兆円で売却決定
- 2018 年 4 月:東芝メモリ株式会社(現・キオクシアホールディングス)として分社
- 2018 年 6 月:正式売却完了
- 2019 年 10 月:キオクシアホールディングス(Kioxia Holdings)に社名変更
- 2024 年 12 月 18 日:東京証券取引所プライム市場への IPO 完了(時価総額約 8,000 億円)
実例 2:日立化成→昭和電工(2019-2020)
- 2019 年 12 月:日立製作所が上場子会社日立化成の売却を発表
- 2020 年 4 月:昭和電工が公開買付で日立化成を子会社化、約 9,600 億円
- 2021 年 1 月:昭和電工マテリアルズに社名変更
- 2023 年 1 月:レゾナック・ホールディングスに社名変更、昭和電工と昭和電工マテリアルズを統合
日立製作所は本 M&A を含む上場子会社削減で、事業ポートフォリオを IT /エネルギー/モビリティ/産業機器の 4 領域に集約。
実例 3:東芝 3 分割案 → 2 分割 → 非公開化(2021-2023)
- 2021 年 11 月:東芝が事業を「インフラ」「デバイス」「東芝テック」の 3 分割する案発表
- 2022 年 2 月:3 分割から「インフラ」「デバイス」の 2 分割案に変更
- 2022 年 6 月:株主の反対で 2 分割案も撤回
- 2022 年後半:Japan Industrial Partners(JIP)を中心とする買収コンソーシアムが浮上
- 2023 年 12 月:JIP コンソーシアムによる非公開化(TOB 成立)完了、東証プライム市場を上場廃止
事業ポートフォリオ組み替えが上場企業の枠内では実現困難と判断し、非公開化に至った象徴的事例。
実例 4:中計期間中の下方修正
大塚家具は 2018 年に「イリオンの経営再建」を掲げた中計を策定しましたが、業績悪化により 2018 年 12 月に事実上撤回、2019 年にヤマダ電機による子会社化に至りました。中計の下方修正・撤回のリスク管理が重要な理由を示す事例です。
まとめ
- ROIC ツリー分解:ROIC = NOPAT / 投下資本 = 営業利益率 × 投下資本回転率
- 事業別 WACC は「成熟事業は全社 WACC 相当」「成長事業は+1-2 %」「新規事業は+3-5 %」「海外事業は国別リスクプレミアム」のレンジ
- 事業別 β は同業ピュアプレイ/アンリー・レバレッジ/内部データの 3 手法で推計
- ROIC スプレッド = ROIC − WACC で事業の価値創造・破壊を判定
- 事業ポートフォリオ 4 象限(コア/育成/キャッシュ牛/撤退候補)で ROIC と成長率から分類
- 撤退基準の事前明文化:連続赤字 3 年/ROIC < WACC 継続/市場シェア低下/シナジー消失/事業価値の外部評価下落の 5 基準
- カーブアウトは 5 ステップ(売却先探索/バリュエーション/従業員説明/労組合意/クロージング)で 8-15 か月
- 事業売却実例:東芝メモリ→キオクシア 2018 、日立化成→昭和電工 2020 、東芝 3 分割案→非公開化 2023 、大塚家具中計撤回 2018
次のレッスンでは、財務目標・資本配分マップの設計を扱います。
講師の現場メモ
私が上場消費財メーカーの経営企画部で中計策定を担当していた時、事業別 ROIC 算定に半年かかったのが最大の学びでした。開示している事業別 P/L はあっても、事業別 B/S(特に運転資本と固定資産)を持たない事業部が大半で、経理部門と協働で 6 か月かけて事業別 B/S を組み立てました。結果、全社 ROIC 8 % で健全と見えていたのに、事業別に分解すると 3 事業のうち 1 事業が ROIC 2 %(WACC 6 % 割れで価値破壊)と判明。この事業は中計期間中に売却の意思決定に至りました。中計策定は「数字を並べる」前に「事業別に切る」ことが半分。事業別 ROIC /WACC 分析なしに事業ポートフォリオ論を語る中計は、砂上の楼閣です。